うろうろ雑感ノート

文章創作に挑戦する一個人のブログです。 日々の生活の中で気になること、思うこと、 そして自他の作品に関する考察を中心に、日記形式で書いてゆきます。

食事風景は「エロだ」という件

 断章の「モノ食フコトハ」を書き上げ、
サイトにアップする前に古い友人に見せたところ

 「何だか“エロス”を感じる」

 そういう感想をもらった。

 「あ、やっぱり」、思わず苦笑い。

 もちろん、これは“狙った”わけでも何でも
ない。書いてみたらそういう“風味”になって
しまっていた。

 そしてこれに限らず、

 自分が書く「食事シーン」はどことなく
「エロくさい」なあ――と、いつも一抹の
気恥ずかしさを拭えない。

 その理由は、「食べる」行為そのものが
「欲望」と深く結びついているという事実
だけでなく、食事風景が登場人物どうしの
「関係」のあり方と不可分であるから――
などとも、最近は考えている。


 食事の風景はいつも、「日常パート」に
出てくる(今のところは)。それは、

 異世界ファンタジーを綴る上で、食事風景
のような日常的行為は、読む側に「自分の世界
と地続きの親近感を持たせる」という効果が
あるからだ。
 言うところの「感情移入」をしやすくする
きっかけなのである。

 ただ、『“力”の扉』の場合は上記の狙い
だけにとどまらない感じだ。

 どうも私は、登場人物どうしの精神的結び
つきを高めたい時に「食事風景」を書いている
のではないか。
 書き進めるうち次第に、そう思うように
なってきた。

 食事風景に出てくる料理のほとんどは、登場
するメンバーの“誰か”が調理したものだ。

 親しい(親しくなりたい)者のために料理を
作り、食べさせる。
 親しい(親しくなりたい)者が作った料理を
「おいしい」と食べる。
 ――そこに両者の「関係」のあり方が浮かび上がる。
より「深く」「交わりあう」ことへの志向が。



 「エロ」になるのも当然かもしれないな、これは。



 ひるがえって、

 私たちが家族との食事風景を赤の他人に見られる
ことが何とはなし「気恥ずかしい」のは、この種の
「エロス」がそこに内在するゆえかもしれない。

 いや、まあ、

 いずれにしろ「エロス」への感度の違いで、
人それぞれの感じ方はあるとは思うのだけれど。

引っ掛かること

 マンガ版『カルドセプト』を読むたびに、
どうにも引っ掛かってしかたないのだが。

 「女神のまします世界」の物語であるはず
なのにどうして、
 ああも“マッチョ”で“家父長制的”な価値観に
満ちみちているんだろうか?――と。

 「男は拳で語り合うべき」などという価値観を
私はちっとも信用していない。

 “マッチョ”はどこかで必ず、
誰かを踏みつけながら踏みつけていることに
気がつかない

 ――そういう鈍感さと通じ合っている。

 そして“家父長制”こそは、
 全ての「女神的なるもの」の抑圧装置として
働いてきたんじゃあないのか、歴史的に。



 「“女神”を取り戻したい」

 これは私のひそかな野望だ、『カルドセプト』の
物語を綴る上での。
 男を恐れさせる女、太古の母神(ははがみ)。
 直線的上昇志向・収奪志向に取り付かれた世界から、
自律・自足の円環志向の世界へ。

(ちなみに、「緋の裳裾」のプロットは昨年の今頃には
すでに完成していた。なので“ダゴン様”の登場とは全く
関係がない。
 炎の貴婦人は“あれ”とはむしろ、趣旨は真逆だと考えている)


 道のりは遠いが、あきらめてはいけないよ、自分。
 しっかりと首を立て、目を見開いて進みなさい。

桜花

 今年はが咲き始めた頃から寒い日が続き、
そのおかげか例年になく花の“持ち”が良い。

 家のお向かいの枝垂桜も、もう二週間ぐらいは
咲き続けている。

 それでも、染井吉野はさすがに散り時となった。

 ドッと風が吹き過ぎるたび、細かな丸い桜色
ちらちらひらひら吹雪く。

 染井吉野は花色の濃淡に乏しく、満開に咲いても
どこかしらじらと明るいばかりで情趣に欠けるという
うらみはあるが、

 花の量が多いだけにさすが散り際こそは見もので、
豪気なほどの片々を惜しげもなく散華してくれる。

 庭のが終われば、次は山桜

 こうして次第に春が山を登ってゆく。

第3話「奨進花」について

 考えてみたらば、この話題は今頃しか掲載できないのだった。

 当館の読み物『カルドセプト―“力”の扉―』第3話には、
「奨進花」と題した一編の“うた”が登場する。
 月の明るい夜、戸外に出たセプターの少女「マヤ」が、風に
寄せられた花びらをたよりに森の奥に満開の花咲く樹を訪ね当て、
そこで舞い踊りつつ謡(うた)う場面の詞である。


 綾(あや)の絹、玉の帯とて惜しからず。
 惜しむべきはこの、花の錦(にしき)。
 いざや焚け、篝火(かがりび)。
 盛りの春、たけなわの時に臨(のぞ)まん。
 咲くや木(こ)の花、今宵花咲く。



 花咲く枝を折りたまえ。
 咲き匂う盛りを愛(め)でたまえ。
 折ってかざして舞いたまえ。
 御身の少(わか)さに酔いたまえ。


 時移れば花散り、
 歳(とし)廻りて復(ま)た開くも、
 人の身に再びの春は来たらじ。
 君よ、短き日を惜しみ、
 日、落ちなば燭(しょく)を取りてもなお遊べ。
 「過ぎ行く春よ永(なが)からん」と願いたまえ。


 花咲く枝こそ折りたまえ。
 花無き枝を手に、
 君、悔い嘆きたもうことなかれ。


 最初の五行は「序詞」、「咲くやこの花」はもちろん、
『古今和歌集』仮名序にある

 「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」

 より採る。ただし「難波津に」の歌の花は梅花であるため、
桜花を暗示する「木(こ)の花」(木花開耶姫:コノハナサクヤヒメ)
に変えている。

 また、「さくやこのはな こよいはなさく」は一行の中でアナグラム
(ある言葉を用い、言葉を構成する文字を入れ替えて別の言葉を
作る言葉遊び)めいた対称になるように試みてみたもの。

 詞全体のモチーフは、中国・唐代の漢詩「奨進酒」に習っている。


「勧君莫惜金縷衣:君に勧む惜しむ莫れ金縷の衣
 勧君須惜少年時:君に勧む須らく惜しむべし少年の時
 有花堪折直須折:花有りて折るに堪えなば直ちに須らく折るべし
 莫待無花空折枝:花無きを待ちて空しく枝を折ること莫れ 」



 なお上記の詩には、佐藤春夫氏による優艶な訳詩がある。

「綾にしき何をか惜しむ    惜しめただ君若き日を
 いざや折れ花よかりせば   ためらわば折りて花なし 」



 「花」とはこの詩では「女性」を指す。多分に“酒と女”の
匂いがする、どう読んでも遊里の酒宴で謡われるのが最も
ふさわしい詩である。
 だがそれでいてほのかに愛惜の意の漂う点が出色。誰も逃れ
られない時の移ろいを惜しみ、咲く花に寄せて過ぎ去り行く
「今」を愛おしむ心情が、古今も洋の東西も問わない人の真実で
あるためだろう。

 さて、自作の「奨進花」では上掲の「奨進酒」の他にも、二編の
漢詩から詞の言葉を得ている。

 第二聯の「時移れば〜 〜来たらじ」までの三行は、
初唐の詩人 劉廷芝(りゅうていし)「代悲白頭翁」中の有名な句

「 年年歳歳花相似たり   歳歳年年人同じからず 」より。

 また続く「君よ〜 〜願いたまえ」の二行は
漢代の「古詩十九首」中にある

「 昼は短く夜の長きに苦しむ   何ぞ燭をとりて遊ばざる 」

から発想している。

 いずれの詩も「過ぎ去り行く時を惜しむ」という、同一の
モチーフを持つ。
 『“力”の扉』では「時間」は実は重要項目のひとつであり、一度
全ての物語を読み終えた後、再読した際に初めて意味がわかる
ように“仕込んだ”場面がいくつもある。
 この「奨進花」もその趣向に連なる部分
(効果のほどはともかくも)。

 これを特に第3話の終盤に持ってきたのは、3話のテーマである
「呪文」から、“言葉が招きよせる魔法の時間”の実践編のつもりで
ここに据えたもの。


 この詞の場面、女子読者にはおおむね好評である。
だが男子読者のほうはどうなんでしょうねえ……
退屈じゃない?などと、私は少なからず心配している
(まあ、詞や音楽の出てくるシーン全般について、
男子の反応を聞いてみたいところではあるのだが)。


 それでも、このような歌舞音曲や祝詞、伝説、説話がひとつも
出てこないような作品は、そもそも「異世界ファンタジー」と
名乗ってはいけないんじゃないかと自分は考えているので、
今後も機会ある毎に出してゆきたいと画策している。

それはどんなお話なんですか?

 「あなたが書いてるお話って、どんな内容なんですか?」

 そう訊かれたとしたら、何と答えよう。

 実はその“内容”というヤツ、「大枠」だけ教えるのと
「内実」まで説明するのとでは、聞いた人が受ける印象に
けっこうな差があると思うので。

 まずは
「大枠」

  異世界ファンタジーです。
  大宮ソフトのゲーム『カルドセプト』の世界観を
 独自に解釈し、カードから特別な“力”を呼び出す
 「セプター」の師弟が活躍する物語を書いています。


 オンライン小説の検索サイトに登録した際は、だいたい
上記のような説明文を付けている。100〜200文字内で紹介
するとなると、まあこんな感じ。


 そして
「内実」

  「世界」との深い関わりを避け、自分勝手に流れ
 歩きつつ生きてきた中年男。とある事情で一人の少女を
 道連れにした彼は、彼女に振り回されるうちに少しずつ
 「世界」と自分との関係を捉えなおし、新たに回復させてゆく。



 う〜ん、「どこがファンタジーなんですか?」とか思い切り
突っ込まれそうだな、これ。
 でも事実、展開されてる内容はこの通りだ。検索サイト
でも、「男女カップル小説」を扱うところ向けには上記の
「内実」を匂わせる説明文を付けている。


 「大枠」だけ見れば、定番の展開としては「英雄譚」か
「少年少女の成長譚」というところ。実際、作品のアップ
を始めて第4話ぐらいまでは「少女マヤの成長&自分さがし」
がテーマの物語だと読者さんからは思われてたらしい。

 でも私は初めから「内実」の方をやりたかったのだった。
大人になってもなかなか「世界」との確かな関係を築けずに
いる者――は、現代社会では普遍的な問題だと思っていたので。

 『カルドセプト』の物語は、基本的には「世界探求の物語」
だと私は考えている。現実の中年男はそう簡単には“自分”
を変える気になどならないだろうが、ファンタジーであれば
変化・変容して「世界」へと向き合う姿を本当らしく描ける
かもしれない。

 これまでに書き上げた分量は、まだ全体の三分の一ほどだ。
時おり冒頭部分を読み返すと、当初の「彼」はずいぶんと
勝手な男で苦笑させられる。
 そして、目論見通りかどうかはともかくちゃんと“変化”
しているのだな……と、不思議にも思われる。

 同時に、
 「とにかく根性据えて最後まで書こう」
 そう、思い直すのである。

「ゼネス」は何者だったのか

 ある人への返答に際し、ゲーム『カルドセプト』中に
登場するキャラクターである「ゼネス」について、
彼が私たち「リアル・セプター」にとってどのような
「意味」を持つ存在であるのか――を、ここ二日ばかり
ひたすら考えていた。

 「ゼネス」は確かにゲームの一キャラにすぎないはず
であるのに、彼の存在感は多くのリアル・セプターの内に
それぞれの固有のイメージと重量とを持っている。

 「ゼネス」は『カルドセプト』というユニークなシステム
を有するゲームと共に私たちの前に現れ、そのシステムを
学びゲームに習熟する間中ずっと、私たちの難敵あるいは
好敵手としてモニタの上で渡り合い続けてくれた。

 対人戦に恵まれないセプターであれば、ゼネスこそは
最も数多くの戦いを繰り返した相手であったはずである
(かく言う私もその口だ)。

 だからこそ、「ゼネス」のイメージはすでにして
私たちのゲーム『カルドセプト』のイメージそのものと
分かち難く結びついてしまっている
(この心情は多分、対人戦の機会の多いセプターが遊び
仲間のセプターに対して抱く感情と似通っている)。

 「ゼネス」こそは『カルドセプト』の象徴なのだ。

 

 だからこそ、新作「サーガ」のストーリー中には、
大切な「彼」に登場などして欲しくない――と私は思う。

 「カルド小説」と称して、実際には小説とは似て非なる
ものを依頼(推測)通りに書き上げるような作家が書く
シナリオなどに、絶対に関わって欲しくない。

 


 ゼネスが次に登場する機会があるのだとしたら……
それはオンラインであって欲しい。

 予告も虫の知らせもないまま、ある時「ふらりっ」と
ケーブルの向こうでめぐり逢いたい。

 目には見えなくとも、私の内側にはつながる

 そのカルドラ宇宙の中で。

ぶらぶら歩き

 今日は原稿用紙を買いに出た。

 ご近所もようやく「春」めいてきて、
枝垂桜に白木蓮、沈丁花と一時に花開き
吹く風にゆらゆらと揺れながら、それぞれに
漂うような染みるような匂いを放っている。

 遠くの山から、鶯(ウグイス)の声も
かすかに届いたような気がしたっけ。

 で、
 いつもの
「コクヨ タテ書き ケー31」を三冊買った。



 ○気になる本(本日の朝日新聞書評欄より)
 『 喧嘩両成敗の誕生 』(清水 克行:著)
 歴史教科書での重要事項「喧嘩両成敗法」とは、実際には
中世日本の荒々しい「自力救済」の気風への現実的対処として、
”血みどろの形成過程”をたどりつつ“苦しまぎれの集大成をみた”
ものである――との考察であるもよう。

 中世日本人の感覚を知る上で、また「自力救済」の気風に
興味を持つ者として、目を通しておきたいなと思う一冊。


 (講談社選書メチエ 1,575円)
 

こっそりとブログ始めました

 始めてしまいました、ブログ。


 これまで、「んなもん書くヒマあるなら創作の続きを書け!」


との“心の声”に責められ、関心アリアリのくせに見て見ぬフリ


してまいりましたが……


 他所さまの日記は楽しんで日々拝見しておきながら、


自分は何にもせず――との姿勢は「いかがなものか」と、


思いを新たにした次第。


 で、


 当初は「自分でブログ設置」にチャレンジ!しようとしました。


が、まだまだ勉強すべきこと多すぎ。少しばかりHTMLかじった


からってできるものじゃないなー、と大いに反省。


 CGIの勉強はおいおいしながら、とりあえずこの「FC2」ブログ


を借りて始めてみることにいたしました。


 


 今後ここに書く予定のブツは


 ・日々の雑感


 ・文章修行・創作関連の考察


 ・他作品への感想


 ・TCULD!のグチ(再開したら)


 ↑以上です。


(うち、一部は手を入れてサイトのコラムにあがるかも知れません)


 


 ちなみに、


 このブログ、こっそり始めてます。サイトの更新情報にも


掲示板にも告知はしてません。


 できるだけいろんな本音を書きたいな〜、ということで。


 それではそれでは、うろうろ行きましょうか、自分。

テーマ:写真ブログ - ジャンル:ブログ

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