「そんな話はゼネスにしてみれば“釈迦に説法”だ」
――そう書きそうになって
『……?おいおい、“リュエード”に釈迦がいるのかよ?』
自分で自分にツッコミ。
これまで神話・宗教に関係深いクリーチャーはなるべく
出さないように気を使ってきた。というのも、便宜上
「カルドラ神」という唯一絶対神のいる世界で、他の神様の
“匂い”をさせる事態は避けたかったからだ。
でもね、宗教くさい単語まで避けるというのは大変ですよ。
日本語といい漢字といい、かな〜り仏法の影響受けてますので。
…………
ああ、めんどくせーぞファンタジー。
いや、気にしてるの多分、自分だけだったりするんだろうけどね。
【“ひとりツッコミ”の続きを読む】
どうやら「サーガ」ではいなくなったっぽいですね、
「デコイ」。
寂しいなぁ……素直に。SS版「1」で初めてデコイを
目の当たりにした際の驚きと感動とは、まだまだ私の中では
新しいのでありますからに。
――え?このふざけた顔した人形ナニ?「反射」てナニ?
相手の攻撃を撥ね返す?……すごくね?!もしかして最強じゃね!
使ってみる → 「キラッ、 カキーンッ」
おおぉー!!何て使えるクリーチャーなんだ〜〜〜!
(でも「マジックボルト」でばびゅ〜んガシャ〜ン
巻物攻撃でボボボボ……だけどね)
対ゼネス戦メインの自分の場合、決してレギュラーには
なり得ないカードではありました。
それでも、脱力の外見と相反する能力は常に「愛」の
対象だったのですよ、デコイ。
(「1」はかの斉藤さん描くイラストでもありましたし)
確かに、カルド対人戦ではスチームギアと並ぶ人気ある
クリーチャーだったでしょう。「デコイを殺せないブックはゴミ」
=機械科ボイラーズ師の言葉は本当に名言だと思います。
TCG業界では、誰もが使うカードを作ることはご法度なのだ
そうです。その伝でゆくと、デコイが消えたのは自然な流れでは
あったと理解はできるのですが……それでもこの寂しさを如何せん。
他に反射能力を持つクリーチャーはいるらしいのですが、私は
やはり、「あのデコイ」に勝るクリーチャーデザインと能力との
幸福な合致を思い浮かべることが難しいのです。
カルドはTCGとは違うゲーム、恐れられながらも多くの
セプターから愛されてもいた「デコイ」を、配信でもよいから
復活させてくれたらなぁ……と、夢想はやみません。
いろいろ、いろいろ、いろいろ〜と取り沙汰されてますね。
やはり、一番最初の「こりゃ違うでしょ!」感は的中ですか……
(いーえ、少しも嬉しくなんかありませんね、こんな“的中”)。
ただねぇ、「我慢すればダイジョブ、ゲームそのものは面白い」
なんてきちんと「文句」つけずにいると、ますます舐められますよ。
『カルド』の本質を理解してない人が『カルド』を作ってしまった、
そのことはどう考えたって「罪」なんです。
お金を払った人は、「責任」を問う「権利」を有します。
というか、問わねばまた同じことの繰り返しですよ、そうなれば
野放しにしておいた輩も最終的には同罪になるでしょう。
それにしても……
世論がある一方に傾いていると、何をどう理論立てて説明しても
皆々聞く耳を持たないものですな。
先の大戦時に「反戦」を唱えた人は、本当に勇気があったなと
切実に思います。
えー、「半分」ぐらいまで来ました。
ひと山越えてあとひと山、さらにもうひと山。
……
も少しお待ちくださいませ(平伏)。
ここ数日、急にアクセス数が増えてるのは新作発売効果でしょうか。
ん〜、でもウチは「関係ない」んですがねェ(苦笑)。
(てか、万が一次作が「出る」ことがあってもいいように――
という思惑もあって「思いっきり未来のカルドラ宇宙」に
舞台を設定したわけなのですが、
こうまで“的中”するとは思わんかった、正直)
ということで、私の「ペース」は変わらない予定であります。
【“業務連絡(第8話)”の続きを読む】
以前、編集記者(雑誌)の仕事に携わっていた際には、たびたび
広告代理店と付き合う機会があった。
主に商品の取材に行って「彼ら」に会うのだが、私はどうも
「彼ら」広告代理店のセンスが好きになれず、取材の席に代理店
の人間がいると内心ガッカリしたものだ。
というのも――
広告代理店の人間は弁舌爽やかで資料の準備も怠りないものの、
言っているその内容がいたく「薄い」。
商品という「モノ」が本来備えているはずの「情報量」を
大幅に削減し、著しく平板な表現へと変換してしまう。
これが商品の開発担当者に取材するのであれば、開発の経緯や
苦労した点、ユーザーのどんな要望に応えたいか――などを
じっくり聞き出して、対象商品の全体像を立体的に描くことが
できる。
だが広告代理店を通してしまうと、見た目こそスマートで口当たり
良いパッケージの資料を提示されるものの、実に通り一遍の情報
しか出てこないのだ。
つまらない、はっきり言って。
思うに、広告代理店センスを通すとどんなモノでも、本来は
“存在”そのものが孕むはずの特有の「不気味さ」が脱臭されて
しまうような気がする。
匂いが薄く味が薄い「情報」に変換したうえで、あらたに
色素や香料を添加し、「これが今望ましい商品」として提示してくる。
例えば、本来のトマトは青臭い匂いとこってりした酸っぱさが
あるものだが、広告代理店はトマトのそうした匂いと味を削減して
温室育ちの「桃太郎トマト」(匂いも味も薄い)に変えてしまう
――と言えばわかりやすいか。
しかし、
もう長いこと市場は広告代理店の支配化にあるため、私たちは
すっかり、生活の中で「不気味さ」を孕む存在の実質に触れる機会を
失ってしまっている。
本来のトマトの匂いも味もまるで知らず、温室育ちの「桃太郎トマト」
しか知らない人々に「これはトマトの形はしてるけどトマトじゃない」
と言ったところで、誰がその言葉の意味を理解できるだろうか?
この半年ばかり、私はそのような「徒労の苦痛」を噛みしめ続けてきた。
『カルドセプト』待望の新作である「サーガ」だが、私は購入したくない。
最初の情報公開を目にしてよりずっと、違和感をぬぐえずに来た。
私には「あれ」は、
「ゲーム屋さんの作った作品」
というよりも
「広告代理店の企画による商品」
としか見えない。
テンプレに「ツボを押される」ことを「感動する」
こととカン違いしてる人ってい〜っぱいいるなぁ。
「批評」の視点を持たないと、こうも簡単に「動員」
されてしまうのだなぁ。
(上記のような人々が、先の大戦中に「皇国」とか
「聖戦」とか「八紘一宇」なんて物語=テンプレートに
簡単に“感動”してしまったわけなんだなぁ、実に納得)
「小説」は、物語を語るものではないよ。
テンプレがわかれば小説が書けるだなんて、「小説」に
憧れながら「小説」に挫折し続けている人の自己慰撫だと
しか思えないや。
『エヴァンゲリオン』が“違って”いたのは、
気持ち良く収束できる物語だけは断固として回避した、その
姿勢においてだよ。
(まあそれはたぶん、戦略として選択されたというより
もっと“野生のカン”に近いものだったのだろうけどね)
今、「小説」は(いわゆる)冬の時代だと思う。
思考停止して「気持ち良くすごしたい」人が多いのだと
すれば、あえて試行錯誤する「運動」(=「小説」)なんて
そりゃ迂遠でバカらしい試みにしか見えないだろう。
それでも、私はバカなヤツなもので(笑)、
“空気”なんて(たとえ)読めても無視して
ジリジリとでも近づく努力をするだけだけどね。
「小説」へと向けて(爆)。
私が中学生だった頃、クラスの女子の間で「コバルト文庫」が
流行ったことがあった。
そこで、私も2冊ばかり購入し、読んでみた。
が……「つまんねー(注)」で続かず。
またちょうどその頃、母の実家から「世界文学全集」が届いた。
これは母が娘時代に読んでいたもので、押入れの整理のために
ウチへと寄越されたんである。
この全集本、文庫と同じ大きさのコンパクトな作りであり、
中学生にもとっつきやすかった。学校の図書館の蔵書がかなり
“おそまつ”だった事情も手伝って、その後結構お世話になった。
『アンナ・カレーニナ』 『エジプト人』 『井原西鶴集』(おいおい)
『紅楼夢』(おいおいおいおい)
――といった辺りが特に印象深かった作品。家だけでなく、
学校にも持って行って休み時間などに夢中になって読んでたなー。
で、まあ「ほくほく」と読書にいそしんでいた私に、ある日
クラスで仲良くしている女の子が言うことには
「あのね、他の人(女子)たちカゲで噂してるよ、“あの人
ひとりだけ難しそうな本読んで私たちのことバカにしてる”って」
私:「……はァ??」
「晴天の霹靂」とはこのこと、ビックリ仰天した私だが同時に
「ピン」とひらめいた事もある。
『ああ、この“装丁”だからね』
例の文学全集本、実は戦前(第二次大戦)の出版で小型の割には
贅沢な作りなのだった。何といっても布張り・天金、そりゃ“立派げ”
にも見えるってもんだ。
『しっかしそれでそんなカゲ口叩かれるとはねぇ……
被害妄想もいいとこだな』
もう苦笑を通り越してあきれた。だってねぇ、なんで自分たちが
「面白い」と思って読んでる本に対して、もっと「誇り」を持てない
ものなのかね?
読み物の価値ってのは「装丁」や「文学全集に入る」ことで決まる
モンなのかしらね?
だいたい、上記の私の読んでた本の内容たるや、基本的に「惚れた
ハれた」なんですよ、当時のコバルト本と何ら変わりませんてば。
『あーくっだらねぇ』で忠告はありがたく受け取ったものの周囲の
視線は無視、その後も私は読みたい本を読みたい時に読み続けた。
周りの意見を気にして自分の言いたいこと・やりたいことを控える
なんて、バカバカしいな――と思う。
納得できないことがあるなら、きちんと議論や検証をしたほうが良い。
何も言わずに「流れ」に従っていては創造神に見放される(笑)。
まあ、こんな性分なんで割を食ったこと(イジメとか)も多いけど、
できうる限り自分に恥じないようにやってゆきたいと今でも考えている。
(ということで、これからも「相変わらず」なヒト)
注:これはシリーズの罪ではなくて、ひたすら自分の
チョイスが悪かったと今にして思う。
「宮島律夫」と「平岩弓枝」じゃねー、つまんねーに
違いないよ自分(苦笑)。
もっとちゃんとリサーチして選択しとけばまた違った
世界に出会えたかもナ……とやや反省。
(にしても、年代バレまくりの話題でしたなつくづく)
相変わらず、「短編倉庫」よりも「18禁作品案内」の
バナーの方がよく押されているもよう。
(あの配色、反対にしとけばよかったかな〜・苦笑)
それでも「裏」は作りません、えー作りませんたら。
だって……必要ないもん、ホント言って。
ある意味、黒猫館の読み物(特に『“力”の扉』)は「全部エロ」
ですから(言い切ったし)。
まぁ……具体描写がないと“わからない人”は、どの道
置いてけぼりではあるんですがね(更に苦笑)。
書いてる本人は、知らばっくれてどこまでも突っ走るつもり。
ただ、
ついて来てくださる方があるか否かは“微妙”かもしれない(汗)。
「ひとり」のほうがいい。
「われわれ」という殻の内に閉じこもり、
面倒なこと、イヤなことはことごとく「彼ら」の
せいにして押しやりたくない。
世界にいるのは「われわれ」だけで、「彼ら」など
存在さえしないかのように振舞いたくはない。
「ひとり」がいい。
一匹狼がいい、私は。
いつも直に風に吹かれて直に風の匂いを嗅いでいたい
(いかに“月並み”であろうとも)。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061101/p1
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20061107
あー、やっとこさアップできた。
今回は本当に創作の「裏舞台」だったり。
私の場合、想像力の取っ掛かりは物語中の
「一場面」や「登場人物の言動」であるケース
がほとんどだ。
キャラデザは最後の最後(まるで考えてない
ことも多いな)になるため、アタマの中では
ひたすら、情景が展開したり動作やセリフが流れ
たりしている。
また、実際に原稿用紙に書き進んでゆくうちに
突発的に出てくるセリフもあったり。
(ゼネスの“あれ”とか〜、“これ”とか〜)
人によっては、キャラデザから入ったりする
ケースも当然あるんだろうな。
――ただ、やっぱり「内面」がつかめてないと
うまく動いてはくれんのだろうなぁ(と、経験者は語る)。
【“「ひとこと」更新〜”の続きを読む】
大○ソフトさん、この時期になって「新作」発表ですか。
それもメカ系シミュレーション、こちらはしっかりハッキリ
「製作」と銘打たれてますね。
……ふ〜〜〜〜〜ん……
するってーとやっぱアレですか?
例の「3番目」、企画は“ジャムズなんたら”が中心に進めて
大○さんは下請けから上がってくるものをチェックするだけの
「監修」だったんですかね、実質は?
――でももし“そう”だとするなら、ものすっごく「納得」
できますよ自分(苦笑)。
いやまあ、いろいろと(更に苦笑は続く)。
【“へ〜〜〜……”の続きを読む】
「空気を読め」
という言葉が好きじゃない。
というか、むしろハッキリ「嫌い」だ。
特に、あるコミュニティの“内側”に居る人々が、
自らはそうした“特定の場所のメンツ”たることを
ほとんど意識しないままに、たまたま紛れ込んできて
しまった「別の人」に向かって
「空気を読め」
とばかり無言の同調圧力をかけるケースがどうにも
痛々しくてたまらない。
――『その人はね、“空気読まない”んじゃなくて
“読めない”んだよ。追い詰めるとますますドツボに
はまっちゃうよ』――
と、重い気分にひたされる。
確かに、世の中には「空気を読まない」(=デリカシーの無い)
人がいて、そういう人物には私もできるだけかかわりたくないなぁ
とは思う。
でも、「空気を読めない」人はそれとは違う。彼らは付き合いベタ
だったり、情緒がやや不安定だったり、経験が浅かったりなど、
要するにコミュニケーションスキルが不足している人だ。
このスキルを磨くためには、いずれかのコミュニティに入って
人付き合いの経験を重ねてゆく方法がてっとり早いのだけれど……
実際のところ、身に付くのは単に「馴れ合いスキル」だったり(苦笑)。
「空気を読ん」で表面的に調子を合わせるだけの人と、
「空気を読めず」に空回りする人と、
どちらがより「マシ」なのか――といったら私の考えでは
後者のほうがずっとマシだ。少なくとも前者は、デリカシーの
無い人と負けず劣らず私の“付き合いたくない人種”に入る。
そーいえば、
私自身は「空気を読ん」で、その「空気」自体が気に食わない
ものだった場合「無視する」という“暴挙”にたびたび及んできた
(注:今よりもっと若かった頃の話ネ)。
近年はさすがに、「どーでもいい人」に対しては表面的に
調子を合わせるまでに“堕落”してしまっている
(だからこそ、同じことがイヤなんだな)。
ああー、
エラそうに書いた割にはダメな大人だねぇ、自分(タメイキ)。
【“嫌な言葉”の続きを読む】
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