うろうろ雑感ノート

文章創作に挑戦する一個人のブログです。 日々の生活の中で気になること、思うこと、 そして自他の作品に関する考察を中心に、日記形式で書いてゆきます。

「テーマ」と「モチーフ」


 今朝の新聞(朝日新聞)文化欄に河野多恵子さんへの
インタヴュー記事が掲載されていた。
 (短編集の新刊の出版に合わせた企画)

 河野さんがそこで語るには、

 「長編はモチーフよりもテーマが主体だが、短編は
 モチーフがストレートに出る」

 むむむ、同感だ。長編は「テーマ」がくっきりと浮かび上がる
ように描写を積み重ねる“腕力”が必要。その一方で短編では
ワン・アイディア、ワン・イメージを鮮烈に印象付ける“切れ味”
がモノを云う、とは不肖私も常々実感するところ。

 長編をきちんと書き切るためには、書く人の中で「テーマ」が
しっかりと根付いていることが大切だろう。そして短編の場合には、
同じく自分の中で「モチーフ」をどれだけ研ぎ出すことができるか?
――じゃないかと考えている。


 ただし、長編の場合の「例外」がひとつ。

 『西遊記』に代表されるスタイル、ほぼ同じ構成の延々繰り返し
なんて「手」もあるんだよなぁ。
 てゆーか、マンガの長期連載作品がまんまこれ↑なんだよね。
(あと、アニメの『サザエさん』も)

 どんな作品を書いてもテーマがいつも同じ――そういう創作の
姿勢は決して珍しくはないし、むしろ作者がそれだけ強く自分の
「テーマ」を保ち続けている証左とも言える。

 けれど、どんな作品を書いても(あるいはキャラが違ってても)
いつもいつも「構成が同じ」であるのは、どういうことなのかしらん?

 一種の「型」を楽しむべき芸なのか?それとも、無視しえない力
としての「惰性」の威力なのか?

 にしても、「テーマ」よりも「モチーフ」よりも「惰性」が
集客力(ないしは視聴率)高いのだとしたら、それはかなり
話だな(どうにも苦々笑い)。


薔薇の木に


 「薔薇の木に

  薔薇の花咲く

  なにごとの不思議なけれど」

 (北原白秋 『洗心雑話』)

 わが家のバラの鉢に今年も、最初の花が咲いた。この
一両日の間に都合4輪、さらにもひとつ咲きかけの蕾。

 お初の花が咲くといつも、白秋の上記の詩の言葉を想う。
やわらかくも張り詰めた花びらの重なり、そこに潜む陰影と
ほのかに立つ香。


 「なにごとの不思議なけれど」


 ――ああ、そうですね。たれがいつ、何者と“約束”を
交わして全ては今、「かくある」のでしょうかね――


 “不思議”に敬意と畏怖を払う心を取り戻して。


いつも最初に浮かぶのは


 先のエントリにいただいたコメントに、

 >(創作の際)脳裏に浮かぶものは?

 というご質問がありました。今回はその点に関するお答えも
兼ねた内容であります。


 えー、私の場合最初に浮かぶのは「情景」と、そこに居る
人物の身体および精神の「動き」ですね。

 映画や演劇で、人物そのものは空白に近い「影」だけれども
そこで取られている行動やセリフはハッキリと具体的に感じられる。

 ――とまあ、そういう“スタート”です、いつも。

 そこから、最も大切な(中心になる)行動やセリフを核として
プロットが発展してゆきます。とにかく最初は「動き」ありき、
イメージを具体的な「動き」として感じられるようになって初めて
「書く」次元へと移行しております。

 (そんなわけで、ネタ帳には断片的な「情景」「行動」「セリフ」
が書き散らかされることになるという)

 登場人物の「顔かたち」にそれほどこだわらないのは、上記の
通り私の想像力が身体・精神の「動き」=「在り様」に触発される
からだと思われ。だからホント言ったら「顔はいらない、精神の
“動き”だけがあればよい」(笑)。

 そんなわけで、『“力”の扉』ではかの「ゼネス」も完全に
“弟子の少女に振り回され、内省的になってる中年男の精神”
という動きのイメージ“のみ”で存在してますね、私の脳内では。


 でも他の方の場合は、「絵」が動いたり「セリフ」だけがあふれ
出してきたり、実にさまざまだと聞き及んでます。これはあくまで
個人の想像力の“スイッチ”のあり方ですから、百人いれば百通り
のスタートがあって当然でしょう。


 それと、ゼネスのような本来は「顔のある」人物の場合、
彼を(ゲーム上で)知る方々が「これはゼネスだ!」と認識できる
具体的な何か(“セリフ”なり“行動”なり“精神の動き”なり)が
ありさえすれば、外見が通常イメージにはずれても「ゼネス」で
通るんじゃないかと思います。


 大事なのは「外形」じゃなくて、独自の動きを持つ「内面」じゃあ
ないかしら、と。いや、正直「ゼネス」の格好してれば全部「ゼネス」
だなんて、私イッコも思っちゃあおりませんから(笑)。その逆も
また真なり、でしょう。


めもめも


 本館・黒猫館に詩篇をひとつアップ。

 『独白 (4)』――先に出したものより時間がたった
せいで、本文のほうとは少〜しだけ変わった部分があったり。

 にしても、

 『独白』を上げるたび、この娘の顔を“描く”のは難しそうだなぁ
……などとぼんやり思う。

 かなり近いイメージはひとつ、あるんだけどね。
以前こちらでもチラッと紹介した、お人形の写真(これ)。
髪の色も瞳の色も違うんだが、そこは脳内補完だ(笑)。


 で、

 「続き」は書き出しております。

 自分、やっぱり「バトルシーン」書くの好きなんだな、と
あらためて実感しておりますな、最近。

 と言いつつ、書いて上げた後は真っ先に直したくなるのも
その「バトルシーン」なんですが。

 『だあああトロいっ!なにこのトロい“動き”は!』とか。

 いやホント(恥)。



 ――は措いておいて、

 最近、トロル×ドリアードで短編(悲劇)書きたい気分が
ひたひたと満ちつつある感じ。

 ひとつの話に長く取り組んでると、どうもいろんな方面へ
“派生”するもんですね。


【ドッチ派バトン】ですよ


 昨日は重苦しかったな……で、本日はバトン。

 サイト「テシマ☆メジハ」の土成さんより
【ドッチ派バトン】をいただきました。二択かぁ〜、
よっしそれでは始めまっす。

 【ドッチ派バトン】

 ◆黒か白

 A→迷うことなく「黒」。色っぽい黒地が好き。

 ◆夏か冬

 A→断然「夏」。地域的に冬は寒すぎで雪も多くてダメっす。

 ◆甘党か辛党

 A→「辛党」だな、大人になってからは。“とんがらし”いいよね。

 ◆綺麗か可愛い

 A→「綺麗」です、目指せいい女(無理すぎ)。

 ◆ズボンかスカート

 A→これは「スカート」派。太ももが立派すぎなんでズボンは
   どうにもヤヴァい。

 ◆ベッドか布団

 A→「ベッド」。楽チンよ。

 ◆和食か洋食

 A→「和食」がいいなぁ、刺身に野菜炊き合わせ……。

 ◆チョコかバニラ

 A→これは迷う!……ザッハトルテならビターチョコケーキに
   生クリームがトッピングされてるのにィィィ。
   とか言いつつ、最終的には「チョコ」。

 ◆走るか泳ぐ

 A→「泳ぐ」方が好き。でも私が泳ぐ姿はバイカルアザラシと
   “いい勝負だ”という自覚はある。

 ◆数学か国語

 A→「数学」、証明問題が好きなのよ。でも国語も文法は
   も一度しっかり勉強し直したい。

 ◆朝か夜

 A→「夜」、子どもらが寝静まる時間帯だけが私の自由時間。

 ◆犬か猫

 A→「猫」、うるるるる〜〜〜〜〜(涙々)。

 ◆夢か現実

 A→「現実」、リアリスト。

 ◆箸かフォーク

 A→「箸」、お箸の方がいろいろと融通効くじゃん。

 ◆フワフワかサラサラ

 A→「フワフワ」、そしてそのふわふわに埋もれて
   “もふもふ”しまくることを激希望。


 ――以上でっす。なかなか楽しめました、土成さんありがとう
ございました〜〜。

 あ、次の方なんですが、最近バトンをひとつ回したばっか
ですので、これは「アンカー」ということで(お辞儀)。


『おぞましい二人』






 たった一度でも読んでしまったが最後、二度とその内容を
忘れることのできなくなる「本」がある。

 私にとって、否、決して数少なくない人々にとって、
E・ゴーリーの『おぞましい二人』(1977年)はそうした
「忘れることのできない本」の一冊である。

 『おぞましい二人』(原題は“The Loathsome Couple”)は
米国のイラストレーター、エドワード・ゴーリー(1925年〜2000年)
の問題作絵本。みじめな境遇に育った二人の男女が出会い、
やがて子どもを誘拐してきては虐待し、殺すようになる。
 数年後二人の所業は露見し、逮捕されて一人は獄死、もう
一人は狂気の数十年を獄中に過ごしたあげくに死ぬ。

 ――あらすじを言えば、上記の通り。実際にイギリスで
起きた事件を材に取り、ゴーリー特有の緻密かつ細密なペン
タッチで薄ら寒いモノクロームの世界が展開されてゆく。

 主役である二人(HaroldとMona)にはセリフが一切無い。
というよりも、みじめで過酷な境遇に生い育った結果、互いを
支えあう手段さえ持ち得なかった彼らが、ついに見つけ出した
「自らを語ることば」が他でもない「子ども殺し」だったのだ
――と、私には思えてならない。

 言語では掬いあげることのできない絶対の疎外、絶対の孤独。
ゴーリーは「私がどうしても描かねばならなかった唯一の本」と
生前語ったそうだが、深く頷ける。


 言葉で縷々語られる「不幸」など所詮は自己顕示に過ぎない。
本当の疎外と孤独には、言葉(言語としてのことば)さえもが
存在しないからだ。
 「視線」は時として「語り」に勝る。
 この本は、叙述の限界を考える上でも私にとり、とても
大切な一冊である。



 ※E・ゴーリー関連サイト
 http://www.edwardgoreyhouse.org/index.html
 (公式サイト・英語)
 http://www.ne.jp/asahi/wweg/gorey/index.html
 (日本人ファンによるまとめサイト)


  【“『おぞましい二人』”の続きを読む】

【無条件バトン】


 翼さんより【無条件バトン】をいただきました。

 いきなし回答ゆきます。


 1)無条件にときめく○○な人

 →黒髪、色白、面長、切れ長の眼、銀ブチ。
  (もう何度目かね?これ書くのは)

  →キャラクターならば「破調の人」が好み。
   見た目や内面に“アシンメトリー”要素を持つ人。
  (とは言え、オッド・アイならオールオケーなわけじゃない。
   あれは“竜の眼”ということが一番のポイントなのだ!)


 2)無条件に嫌いな○○な人

 →「恥」を知らない人。
  (なお、上記で云う「恥」とは何ぞや?
   =自分が「何を知らないか」を“知らない”ことであります)


 3)無条件にお金をかけられるもの

 →着物、書物、芸術鑑賞、紅茶、食器(特に紅茶器)。
  (着物関係には目が無い。お金あればきっと、もう一棹か
  二棹は桐ダンスを導入することになってるかと。
   百貨店なんぞに行けば、食器コーナーと着物フロアばかりを
  ぞろぞろ徘徊している〜〜。)


 4)無条件に好きな○○なもの

 →美しいもの、綺麗なもの、はかないもの、一期一会な全て。

 5)無条件にバトンを受けてくれる5人

 →いおりんさん(おヒマな時にでもいかが……)。

   千鳥嬢(興味を惹かれたらばどぞどぞ〜)。

 6)色に例えると?

 →「いおりんさん」は……「黄金色
   ドーラ神の輝く髪の色のイメージで。

   「千鳥嬢」は……もちろん「青緑色
   いや、これはもう言わずもがなだ(笑)。



 どうも、お付き合いありがとうございました(お辞儀)。


複雑なものを複雑なままに


 「現実」は複雑だ。

 多種が多様が雑多が入り組んで入り乱れて並列して
行列して曖昧で模糊で見通し悪くて不透明で玉虫色で
いくら近付いてみてもちっともよくわからなくて理解も
できなくって。

 それでもそんな「現実」を単純化はしたくなくて
単純に描いて「感動した!」とか「わかった!」とか
言わせりゃ勝ちだという風潮にはとてもじゃないけど
我慢がならなくってジリジリとソロソロと遠まわしに
のたりのたりと折れて曲がってくねりくねりと慎重に
深呼吸して目を凝らして少しずつほんのちょっとずつ
でも近寄ってよく見て観察して凝視してその複雑さの
ありのままを描出したい、するのだ。

 ――ということを、私は目標に掲げ志している。


やっと「解説ページ」を作りました。


 えー、当ブログの本館である黒猫館では、2年半前のサイト開設
以来『“力”の扉』と題したファンタジー(ゲーム・『カルドセプト』の
二次創作)を連載しております。

 これは現在もまだ継続中の物語であり、話数が進むと共に登場
する人物も増え、またファンタジーならではの特別な用語もありで、
以前から「解説ページ」の必要性を感じて参りました。

 そこで、本日まとまった時間が取れたことからひと息にページの
作成に着手、なんとか仕上げることができました。

 今後はオリジナル作品もおいおいアップする予定でございますし、
ゲーム本編をご存知ない読者さまがご来館されて『“力”の扉』を
お読みになる際にも、いくばくかのお助けになればと思っております。

 読者のみなさまには少しでも「読みやすい」テキストサイトで
ありたい――という気持ちを保ち、日々研究を怠らずにサイトの
向上に励む所存であります。
 (あ、もちろん肝心の「内容」の方もであります。第10話も、
 ようやく“出だし”が固まりましたので、頑張って書き進めて
 ゆきます)


【“やっと「解説ページ」を作りました。”の続きを読む】

寄稿作品(18禁です)について


 当ブログにお越しくださる皆さまにお知らせです。

 先日、サイト『バベル16』(管理人:いおりんさん)の
50万打をお祝いして18禁作品を1点、寄稿いたしました。
現在、同サイトの「裏コンテンツ」にあたる「沈没倉庫」
展示されております。

 作品題名は「火の記憶」、『カルドセプト』ベースの内容と
なっております。
 なお「沈没倉庫」はURL申請にて公開されるページです。
作品をお読みになりたい方は、同サイトのメールフォームから
いおりんさんにパスの申請メールをお送りください。

 お手数をお掛けしますが、閲覧に当たりましてはなにとぞ
所定の手続きをお踏みいただけますよう、よろしくお願いの
ほどを申し上げます。


 ○『バベル16』のURLは
 http://www.d4.dion.ne.jp/~toshie_h/ ←です


 ▼「火の記憶」▼内容紹介:(ネタバレにつき反転。ドラッグにてどぞ)

 カルドラ宇宙のとある「世界」にて、覇者候補の女性セプター
(オリジナル人物)と“漂流の亜神”とのカードの戦い、そして
行きずりの情事。女性セプターの心に浮かぶ「記憶と想い」を
テーマに据えた一編。

 かなり具体的な性描写はしておりますが、単なる興味本位
あるいは“キャラいじり”を目的とした作ではございません。
 『カルドセプト』の世界観を生かし、「神」「覇者」「カード」
「セプター」のドラマを濃密に描くことを第一目標に置いて
作品化いたしました。はっきり申し上げて私の「自信作」です。


 ――ということで、「カルドや竜眼の男で18禁を書くな」といった
苦情は一切これを受け付けませんので悪しからず。


「ロア」という名のカラス


 当ブログの本館・読み物屋黒猫館の連載FT『“力”の扉』。
その第8・9話には「ロア」という名前のカラスが登場する。

 「ロア」は上記の物語内では、魔術師ギョーム老人の子飼いの
鳥として単なる“脇役”以上の活躍をしてくれている。

 飼い主である魔術師とその友人たるマルチェロ(荘園
屋敷の家令)の間で「伝書ガラス」の役目をはたす他、魔術師宅
に逗留中のマヤ(物語ヒロイン)の前で“風遊び”の実演を見せ、
ギョーム老ともども彼女がセプターとして重要な自覚に至る
ひとつのきっかけを作ってくれた。

 この「ロア」なるカラス、実はモデルがいる。

 それは、「動物行動学の父」と呼ばれたローレンツ博士が
飼っていた「ワタリガラスのロア」である。

 動物行動学――とは、動物の行動を研究する生物学の一分野。
1903年にオーストリアに生まれたコンラート・ローレンツ博士が
学問として大きく発展させた(後、同博士はノーベル賞も受賞)。

 博士は自宅に数多くの動物をオリに入れないまま住まわせ、
彼らの生得の生態・行動を観察したことで知られる。中でも
カラス類は常に一群が宅に棲みつき、博士に多くの学問的成果
とインスピレーションをもたらした。

 「ロア」もまた、そんな“ローレンツ博士のカラス”の一羽で
ある。ワタリガラスである彼は、博士の記述によれば動物として
唯一、「人間の言葉を使って人間に話しかけた動物」なのだそうな
(from『ソロモンの指輪』:ローレンツ氏著)。

 ロアは自分が「危険だ」と感じた場所に博士がたたずむことを
好まず、そんな場合には親ガラスが仔ガラスに注意をうながす
独特の飛び方をしてみせながら「ロア、ロア」と叫んだという。

 もちろん、「ロア」と鳴いて注意をうながすのは人間が相手の
時だけ。自分の仔ガラスたちには「クラック、クラック」と
聞こえる鳴き声で呼びかけた。つまり「ロア」は、呼びかける
相手がカラスであれば「カラス語」、人間ならば「人間語」を
使い分けた――というワケだ。

 「したがってこの老カラスは、“ロア”というのは私の呼びかけ
 であるという一種の洞察をもっていたにちがいない!
  ソロモンは動物と話のできた唯一の人間ではなかった。だが
 ロアはいままでのところ、たとえそれがたった一つの簡単な
 呼びかけであったにせよ、意味をつかみ洞察をもって、人間と
 人間のことばで語った唯一の動物である」
               ――引用は『ソロモンの指輪』より


 私は、子どもの頃からの動物好きが高じて自然科学系の知識
には非常な興味を持っており、長年、動物・植物に関するあれや
これやの“理系的読み物”をむさぼり読んできた。

 そんな事情で、ファンタジーといえどあまりに非科学的な
(ないしは自然環境のあり方や法則というものを無視した)
描写にはとうていガマンがならない。

 だから、『“力”の扉』内に書かれている自然描写は全て
実際の観察や知見に基づいている。
(たとえ異世界であろうと、そこにあるはずの独自の自然環境の
法則というものは当然考慮されてしかるべきだろう)

 9話冒頭の「カラスたちの“風遊び”」も、もちろん実際に
カラスがこれをやることを踏まえた描写だ。そして、登場する
ロアとカーラの二羽のカラスが「銀鼠色のチョッキを着たような」
羽色をしているのも、それがワタリガラス本来の姿であることに
ならっている。


 私は、たとえ素人創作であっても、自然などというものは
念頭にないかのような物語作りをまずまず好まない。


 「描写」には書く人の「関心の在り処」が如実に表れるものだ。
自然や他者の描写に著しく欠ける創作は、つまりは創る側が
「自分にしか興味がない」気分の反映なのだろうなぁ……
などと思って見ている。

 ※なお、上記一文における「他者」とはこの場合、主人公や
その相手役以外の「脇役」を指します。


私が18禁作品を書く理由


 あ〜、捧げモノ短編お一つ書き上がりィ。

 ハッキリと18禁(いや、描写内容からすれば20禁かも……)な
作品に取り組んだのは久しぶりだったな。
 うん、ノリノリでやれましたよ(笑)。


 カミングア〜ウトしてしまえば、18禁(成人向け)コンテンツは
“出物”がないかとしばしば探している私。
 しかし、ネット上をあちらこちらたぐってみても、「満足」できる
ものがなっかなか見つかんないんだよねぇ〜、これが。

 そうした不埒なふるまいをなさらない方々のためにあえて
ご説明申し上げると、「18禁作品」は現況、非常に「パターン化の
進んだジャンル」と化しております。
 も、最初の一行(文章ネタの場合ね)を読んだ瞬間にオチが
バレバレみたいな展開ばっかし。緻密なプロットとか登場人物の
心理描写なんざまるきし期待できないブツが99.99%でござんす。


 理想としては

 ・完成されたプロットがある
  (作品の頭からシッポまで内的に一貫したスジを持ち、
   きちんと独立している)
 ・登場人物の「情動」が濃密に描けている
  (肝心の“行為”にいたるまでの心理、または行為中の
   心理や情念がうねりをもって密に描写されている)
 ・「行為」の描写に具体性とオリジナル性がある

 ↑なんだけど、上記の点をある程度まで満たす作となると、
結局は一般向け文芸作品のほうにあったりするんだよね。
(芥川某氏とか大谷崎とか)


 ――というわけで、自分の読みたいようなR18作品はもう、
自分自身で書くことにチャレンジするより他ないのでありました、
ちゃんちゃん。

(つーか、執筆動機の永遠の基本かもしんないな、コレ)


【“私が18禁作品を書く理由”の続きを読む】

いろいろ独り言


 ○「TCULD!」

 「バニシングレイ」キターーー!

 あのー、わたくしただ今「お金なし」ですから。
順位も「下半分の方」ですから、撃つとしたら
お城近辺がいいんじゃないっかなー、とか何とか。

 (聞こえない場所でとりあえずぶつぶつ云ってみる)


 ○捧げもの短編

 力“入れすぎ”です自分!
 これじゃ「18禁」通り越して「20禁」までいっちゃいそう
ですよ自分!
 しかも出だしから「がっつりバトルシーン」だし!(爆)

 そりゃまぁ、「バトルしっかりやらんで何のための“Z”ネタ」が
常日頃からの持論じゃあありやすが。
 ど真ん中直球全力でいってます、「連載続き」?あと、後でね、
こっちが済んでからね(スンマセンです〜〜と平伏)。

 ――にしても、あああ楽しすぎー(待て)。


「サーガ」に触りました


 先日、久しぶりに新宿(西新宿)まで出ました。んでもって、
中野は弥生町の某所にお邪魔し、「サーガ」初プレイ。

 ん〜ん〜、修正版だったせいか、うわさの「カクカク」は
ほとんど気になりませんでしたね。遊んだマップはコロッセウム2、
霧とか水関係だとヤヴァかったのかも知れませんが。

 それと、箱○もぜんぜん“爆音”じゃなくって拍子抜け(苦笑)。
ちなみに置き方は「横置き」でした。さらに読み込み音も「別に」な
レベル。なんだ、ごく普通のゲームマシンじゃないか。
(ただし、“カステラ級”と評されるアダプタは見ておりまへん)

 プレイ感覚自体もPS2版と大差なくて、「ああ、カルドですねェ」
と思わず口にする当方。違うのはクリーチャーのマップアイコンが
3Dであることぐらい。……ただし、コレが従来の2Dに比べて
著しく愛敬に乏しく、全体の雰囲気がダークなトーンに。

 カラーリングもなんだか暗い感じがするため当主にうかがった
ところ、本来の色が“どぎつい”ので、わざわざ画面調整して
抑えてあるとのお答え。
 確かに、本来の発色に戻して見せていただいた画面は、
「目にキツー」なけばけばしい色調でありましたなぁ。

 で、これはソフトは関係ない箱○本来の“仕様”なのですが、
オフ対戦の設定の仕方がメンドいです、かなり。シールド戦の
4人対戦がうまく設定できまへんでした。私の内部で、箱○に
関する「お一人さま専用機」のイメージがさらに補強されたという。


 結論:オンライン対戦の環境が整わない限り、箱○+「サーガ」
の組み合わせは“お蔵入り”っぽい。


 はぁぁ〜、「1」と「2」のスルメ味キャラとストーリーモードが
なつかしや。


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