ただ、ミステリーなどでは
オチも大切だけど、どうやって死んだのか、どんな形で死んだのかというのが、非常に重要な場合が有るように感じられました。
それは、この最初の部分が読者をひきつける部分であり、かつトリックの全容だから。ここに驚きや謎・不自然さが無くダメだと読者が逃げると思われます。
古典的な犯罪推理小説はそこから始まって、後は犯人が追求から逃げるための一連の行動なので、追認といえるかも知れません。
トリックそのものは過去の出来事です。完全性・矛盾点がないほどに巧妙なものとなるでしょう。
そう考えるとトリックは演繹や帰納などを用いて高度にまず組み立てられていることが生じそうです。
本当に完全なら、犯罪は闇に葬られますから、そこから追求の切り崩しが始まると思います。
その過程では、元のトリックを切り崩す過程を鮮明にしたり、逆に大雑把だったトリックの弱点を作者が発見することで、トリックの完全性を上げるような作業もありかなと思います。
追求者は、例え犯罪が完全であっても犯人に心理的プレッシャーを与えてほころびを出させるもの進展の過程ではできます。
古典的手法ではトリックが肝なので、次に誰が死んだかが重要。誰が殺したかはその次。これらは動機や現場設定、シチュエーションになると思います。
そうすれば、キャラクターを何人か配すれば、自然とオチの部分は見えてくる(順序立てで構成できる)ようにも思えました。
そう考えると現場などのパーツ選択もあらかじめ、舞台配置して置いた方が、キャラクターを舞台で動かしやすいかなとも思えました。
サスペンスやインディージョンズなどのジェットコースタームビーならば、状況は常に進展、推理や思考はその場の出来事から発生するものでしょう。
もっとも、自分は小説は書いてないので当て推量ですが。
○オ・ウェルさん
どうも、コメントありがとうございます!
>ミステリと「オチ」
コメントで指摘されていることはその通りなのですが、今回のエントリと
リンク先のお話で取り上げているのは、文章記述法の観点から見た
「オチ」になります。つまり、ミステリにおけるアリバイ崩しやトリックの
タネ明かしではなく、「記述が向かう目的」を指しています。
エンタメの場合、多くは「オチ」に向かって全てが収束するように記述が
成されます。が、(いわゆる)純文学は物語の終着点(記述の向かう先)
以上に記述そのもの(=「過程」)が重要な役割を担っています。
(純文学の類が必ずしもエンタメのように「スッキリした」終わり方を
しないのは、もともとそれを目的としてはいないからでしょう)
作家さんの中にはエンタメと純文学の両方を手がけられる方もおられ
ますが、それぞれにおける記述の意識は相当に違ったものになっている
――のではないか? と想像されます。
エンタメだと、終わりがすっきりしないと読者が納得しない。やはり楽しみで見るものですから。
純文学などは、思索の旅なので思索や情景の変化こそが重要という気がします。
読者はその旅を、時には一緒に時には少し離れて随伴します。
自分と物語とを比較します。
これは物語の結末が読者の思いと違っても、
すっきりせずにもやもやが残っても、
目的が思いが再び沸き起こくるなどに重点をおいているからだと。
こういうものだと、物語は終わっても
読者の旅は続いていることもあり、
すっきりさせない方が良い場合もありますよね。
無理にまとめると、いままでの広がりを閉じてしまう様な。
○オ・ウェルさん
ご了解いただけまして、とても嬉しゅうございます(お辞儀
>思索の旅
映画でいうところの「ロードムービー」に似ているかもしれません。
どこかに目的を設定して「到着する」ことではなく、今旅をしていると
いう、まさにその「過程」を描くことに重点を置くという意味で。
そうして、物語の最後に至ってさらに何処かへと「開かれる」――のが
「文学」の所以ではないか、とも。
Author:サカイ カヲル
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